Official site デスティニーズ・チャイルド(Destiny's Child)のケリー(Kelly Rowland)とのデュエット"Dilemma"が空前の大ヒットになったネリー。
世界で3000万枚のセールスを誇り、ソロ・アーティストとして唯一初週Billboardアルバム・チャート1&2位獲得、さらにグラミー3度受賞(11回ノミネーション)等々の
記録づくめの彼。さらにアパレル・ブランドAppleBottoms経営者。又マイケル・ジョーダンと共にNBA(プロバスケットボール)チーム、
シャーロット・ボブキャッツのオーナーでもあり、“4ShoKids”(ダウン症と生まれつきの薬物中毒の子供達をエイドする団体)と“JesUs4Jackie”(白血病患者を
支援する団体)チャリティ団体の理事長を務めるなど、活躍は多岐にわたる。 |
Official site 革新的なサウンドに、他を圧倒するパフォーマンス。メンバーそれぞれが強烈な個性を放ち、変幻自在で自由奔放なBIGBANGサウンドを創り出す。楽曲制作はもちろん、ダンスメイキングからライブプロデュースまで自らこなす、唯一無二の実力派グループBIGBANG。昨年夏のSUMMER SONIC2010出演でも話題となったBIGBANGのメンバー、G-DRAGONとT.O.Pからなる注目のユニットがGD&TOPである。 |
Official site 2008年、音楽シーンに一大センセーションを巻き起こしたフロー・ライダーは、フロリダ州キャロル・シティ出身のMC。2007年末に発表したデビュー曲「今夜はロウ☆ロウ☆ロウ(以下、「今夜は・・・」)が1週間で約47万ダウンロードという全米新記録を更新(※当時)、さらに全米シングル・チャート10週連続1位という新人としては30年ぶりの大記録を達成。その後、2008年春に1stアルバム『メール・オン・サンデー』をリリースすると、続くシングル「俺のエレベーター」「イン・ジ・エイヤー」も連続スマッシュ・ヒット。日本では来日時に人気番組「ミュージック・ステーション」等に出演した他、鼠先輩と共演したリメイク曲「今夜はポウ☆ポウ☆ポウ」を配信限定でリリースするなど、お茶の間でも人気爆発。結果、「今夜は・・・」は日本の主要洋楽着うた(R)サイトの年間ランキングで全てTOP3以内にランクインするなど2008年最大級の洋楽ヒットとなった。本国では「今夜は・・・」は2008年度の全米年間シングルチャートで堂々の1位に輝き、トップ・アーティストの仲間入りを果たした。2009年に入り、2ndアルバムからの1stシングル「ライト・ラウンド」が全米で先行配信されると、1週間で約64万ダウンロードという自身が持つ記録を大幅に上回る全米新記録を樹立し、全米シングル・チャート6週連続1位に輝く。さらに配信後2週間で100万、約1ヶ月で200万ダウンロードを突破するという、まさに前人未到の大躍進を遂げる中、2009年4月に待望の2ndアルバム『俺のルーツ』をリリース。米メジャーリーグで活躍するイチロー選手が、前年の「イン・ジ・エイヤー」に続き、3rdシングル「ジャンプ」を2009年シーズンの打席入場テーマ曲として使用し、2年連続でフロー・ライダーを起用した事も話題となった。2010年秋、人気ダンス・ムーヴィー『ステップ・アップ3D』のサントラにも収録されたシングル「クラブ・キャント・ハンドル・ミー」が世界的なスマッシュ・ヒットを記録する中、待望のニューアルバムは2作連続のリリースで、1枚目が年内、2枚目が2011年春にリリースされる事が発表され話題となる。時代の先を行くサウンドと唯一無二のフローで世界を席巻しワールドワイドで活躍する新時代のMC=フロー・ライダーは、現在のヒップホップ・シーンを代表する最重要アーティストの一人である。 |
Official site 常に"HIP HOPソロ・アーティスト"初"という肩書きをもつトップランナー。 HIP HOPの殿堂「B-BOY
PARK」MCバトルで3年連続日本一の栄冠に輝く実績を持つ。 KICK THE CAN CREW活動休止後、ソロ活動に専念。2006年2月発売の2ndアルバム『愛・自分博』はHIP
HOPソロ・アーティストとしては、 史上初となるオリコン・ウィークリーチャート初登場1位を獲得。またライブでも、HIP HOPソロ初の全国ホールツアー、日本武道館、さいたまスーパーアリーナ、
大阪城ホール、横浜アリーナなどの連日公演と伝説を生み続け、動員記録を塗り替えている。更に日本人初HIP HOPアーティストとして「MTV
UNPLUGGED」の出演等、 そのシーンのみならず、日本の音楽界最重要人物のひとりである。 |
Official site DJ/プロデューサーとしてNYを中心に活動、近年はJ Recordsと共同で自身のレーベル=Allidoを設立。エクゼクティヴ・プロデューサーとして実力派リリシスト=ライムフェストのメジャー・デビューをバックアップし、その音楽的造詣の深さと的確なプロデュース・センスを高く評価されるマーク・ロンソンはロンドン生まれ、NY育ち。義理の父はフォーリナーのミック・ジョーンズ、母はフリーランス・ライター、そしてロンドン/NY社交界の実力者という華やかな家庭環境に育ったマーク。妹のサマンサはDJ、シャーロットは人気ブランド「charlotte
ronson」を主宰する若手デザイナーとしてそれぞれ活躍している。8歳の時に母親の再婚がきっかけで家族はNYに移住。幼い頃はステレオのスピーカー前に陣取ってエア・ドラムごっこをするのが大好きだった、というマークの音楽的好奇心は世界最大級の音楽都市=NYに身を置くことによってますます高まることに。高校入学当初はバンドを結成、ギタリストとして活躍していたが、16歳頃に当時全盛を極めたNYヒップホップやウェッサイの名曲の数々に強い衝撃を受けてDJ活動をスタート、やがてヒップホップDJを志すようになった。大学に進学する頃には人気クラブにレギュラーDJとして出演するまでに急成長、国際色豊かでクリエイティブなバックグラウンドならではの音楽的引き出しの多さとユニークなDJセンスを買われて、P.ディディといったローカル・セレブリティのプライベート・パーティでもひっぱりだこに。NYクラブ・シーンを代表する人気DJとしてその名を馳せるようになった。 |
Official site Under Construction... |
Official site 女性版NE-YOと賞賛された、次世代を代表するパーフェクト・ディーヴァ。 Ne-YoとKanye Westをフィーチャリングした大ヒット・シングル「ノック・ユー・ダウン」で世界的ディーヴァの仲間入りをし、 グラミー主要部門の新人賞にノミネートされるや、国内でも数々の1位を獲得した。 モデル並みの美貌も常にメディアに注目され、まさに才色兼備!R&B系メディア、クラブ・キッズ、アパレル業界などでも名前が浸透しており、ケリーのスタイルは 現代女性の象徴と言ってもおかしくない。 ニュー・アルバム『ノー・ボーイズ・アラウド』も完成し、今最も波に乗っている歌姫がSPRINGROOVEに初登場! |
Official site 2009年3月、BIGBANGとコラボレーションしたデジタルシングル「LOLLIPOP」で韓国音楽界に登場。この楽曲は韓国の携帯電話(LG「Cyon Lollipop」)のCM楽曲として使われ、この携帯電話が爆発的に大ヒットした事で大きな話題を呼んだ。同年5月にシングル「FIRE」で公式デビュー。同年7月デビューミニアルバム「THE FIRST MINI ALBUM」を発売。アルバムは韓国の各種音楽チャートランキング1位を記録。アルバムのリードシングルとして発売された「I DON’T CARE」も数々のチャートで1位を記録、瞬く間に一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。2010年2月に4曲目のデジタルシングル「TRY TO FOLLOW ME」を発表。同年9月、初のアルバム「TO ANYONE」、リードシングルとして「CLAP YOUR HANDS」「GO AWAY」「CAN’T NOBODY」「IT HURTS」を発表。その後デジタルシングル「DON’T STOP THE MUSIC」をタイでリリース。この楽曲はヤマハのCM曲となった。 |
Official site ソウルの殿堂=アトランティック・レコーズ創設者である故アーメット・アーティガン氏が大絶賛していたR&Bシンガー、トレイ・ソングス。高校生の時に大御所プロデューサー、トロイ・テイラーに見出され、2004年にサントラ『コーチ・カーター』収録の「アバウト・ザ・ゲーム」でデビュー。翌05年には1stアルバム『アイ・ガッタ・メイク・イット』を発表(全米初登場20位)。07年秋には2ndアルバム『トレイ・デイ』をリリース(全米初登場11位)。シングルの「キャント・ヘルプ・バット・ウェイト」が全米最高14位を記録し、第51回グラミー賞では自身初のノミネートを受ける。09年には3rdアルバム『レディ』をリリース(全米初登場3位)。「アイ・ニード・ア・ガール」、ドレイクと共演した「サクセスフル」、「L.O.L :-)」、「アイ・インベンテッド・セックス」、「ネイバーズ・ノウ・マイ・ネーム」、ファボラスと共演した「セイ・アー」等ヒットを連発。特に「セイ・アー」は全米最高9位という自身最大のヒットに。その後、シングル「ヨ・サイド・オブ・ザ・ベッド」のビデオでは、ケリー・ヒルソンと夫婦役を演じ話題となる。全米では今年6月よりTV局BETで初のリアリティ・ショウ『Trey Songz : My Moment』が始まった他、サントラ『STEP UP 3D』へ新曲「オールレディ・テイクン」を提供する等、その快進撃は止まることを知らない。HIPHOP勢との共演も多くミックステープにも積極的に参加する彼は、数多いR&Bシンガーの中で、今最もその動向が注目されているアーティストである。 |
Official site 今や伝説と化したヒップホップグループ「KING GIDDRA」(95年デビュー)のフロントマンとして名を馳せたZeebra。
早くからその才能を開花させ、日本語におけるラップを新たな次元へと引き上げ、ヒップホップ・シーンの拡大に貢献した立役者。97年のソロ・デビューから常にトップの座に君臨し続け、
常に上のレベルを追求する姿勢に共感を覚えるリスナーも数知れない。その音楽性の高さや技術、スマートなスタイルと存在感により、男女を問わずリスナーの間でカリスマ的存在となっている。
また、他のアーティストからの信頼やリスペクトも厚く、自身の作品に加え世代やジャンルを超え、数多くの客演も行っており、2003年にはR&Bプロデューサーの今井了介と
日本のクラブ・シーンを代表するDJ KEN-BOとの3人で、アンダーグラウンドとオーバーグラウンド、そしてヒップホップ・シーンとR&B・シーンを結ぶプロデュース・チーム
「FIRSTKLAS」を結成するなどその足は止まらない。2005年、音楽制作に取り組みつつも、ヤクルトスワローズと明治神宮球場の演出プロデュース「BeatPark」を手掛けたり、
ドラマ「15歳のブルース」に出演するなど活動の幅を広げ、2006年2月には自身4枚目となるアルバム「The New Begining」を発表した。USトッププロデューサーの
SwizzBeatzやScott Storchらの参加や、AI、Mummy-D、安室奈美恵を1つの楽曲に呼び込むなど、Zeebraにしかなし得ない、まさに『不可能を可能にした日本人』として日本中を震撼させた。
また、その活動の影響力は海を超え、諸外国からのオファーも殺到しており、2007年には海外の都市も含めたクラブツアーを決行。
2008年にはタイで開催されたASIAN HIPHOP FESTIVALに日本の代表として招かれた。 |
Official site メジャーではなくインディーで活躍することにこだわるAK-69は、通常ならば逆境とも言えるその状況を逆手にとって、〈インディーだからこそできること〉〈インディーだからこそやる意味のあること〉
るヒップホップ・アーティストである。 |
Official site その最先端のクラブ・サウンドがレーベル・メイト(Cherrytree)でもあるレディー・ガガに認められ、アルバム・リリースを待たずにこの4月、レディー・ガガとともに日本上陸を果たしていたファーイースト・ムーヴメント(FM)。 |
Official site LADY GAGAのマネジメントとプロダクション・チームが世界全包囲網で送り出す将来を約束されたスター新人。 プロディジー(Prodigy)、ロック・ロイヤル(Roc Royal)、レイ・レイ(Ray Ray)、プリンストン(Princeton)の4人からなるLAで活動するボーイズグループ。 2010年、全メンバーが13歳という若さでデビュー曲“My Girl”を発表。インシンクやB2Kに続く存在を目指しているという新進グループであり、SPRINGROOVEの舞台が初の日本LIVEとなる。 |
Official/Label Site 14才からアナログ盤を集め始め、16才の頃から自己流でDJを始める。 |