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91年にネイト・ドッグ、ウォーレン・Gと共にクリーク213を結成。ドクター・ドレに見出され92年「ディープ・カヴァー」でレコード・デビューを果たす。その後、彼が注目されるきっかけとなったドクター・ドレのアルバム『クロニック』に参加。デビュー・アルバム『ドギー・スタイル』は驚異的な大ヒットを記録。アメリカを代表するラッパーとなった。その後は、友人2パックの死などもあったが名前をスヌープ・ドギー・ドッグからスヌープ・ドッグに変更。そのまったりしたラップの人気は衰えることなく、レーベル移籍後も精力的な活動を行っている。


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メガ・プラチナ・プロデューサーそしてソングライターであり、またネプチューンズとN.E.R.D.でさまざまな楽器を自由自在に操るミュージシャンとしてチャートのトップへ躍り出たスタートラック・エンターテインメント/ヴァージンのレコーディング・アーティスト、ファレル・ウイリアムス。

90年代半ばにチャドとネプチューンズを結成。以来99年オール・ダーティ・バスタード ”Got My Money”、00年ミスティカル “Shake Ya Ass”、01年Jay-Z“I Wanna Love U”などヒット曲を世に送り出した。同年、ブリトニー・スピアーズ“I’m A Slave 4 U”/アッシャー“U Don’t Have To Call”/インシンク“Girlfriend”とポップ界に連続的に大ヒット曲を送り込み、更にヒップホップ界にもリル・バウワウ“Take Ya Home”/バスタ・ライムス“Pass The Courvoisier”/LL クール J“Luv U Better”/ネリー“Hot In Herre.”など、目覚しいばかりのヒット曲を続けざまに出したのだった。ネプチューンズとして数々の賞を受賞したが、ファレル個人としても00年にBillboardにおいて幾つもの賞の受賞に加え、最優秀BMI関連のプロデューサーのトップの1人として選ばれている。02年にはネプチューンズのスタートラック・レーベルを正式に開始。同年彼等は分身的なユニットN.E.R.D.でデビュー。03年、Jay-Zをフィーチャリングした、ファレルのデビュー・ヒット・シングルとビデオ ”Frontin’” がR&Bチャートで1位、ポップ・チャートで5位を獲得する快挙を果たしたおかげで、ネプチューンズのアルバムの成功は加速した。更にファレルはネリー、スヌープ・ドッグ、リュダクリス、ナズ、チャドとN.E.R.Dのスタートラック所属アーティストの支持を得た。2004年にはN.E.R.D.としてのセカンド・アルバムを完成させ、独自のインターナショナル・ツアーとなど、ファレルは漲るすさまじい労働意欲で先に進んできた。2005年、エスクアイア誌で「世界一のベスト・ドレッサー」に選ばれ、流行仕掛け人となったファレルは、フット・ウェア・ブランド”Ice Cream” と、スニーカーを含むアパレル・ブランド ”Billionaire Boys Club” (BBC) を開始。第1号店は原宿にオープン。そして“IN MY MIND” のリリースで、ファレルはようやく第一線に彼のパーソナルな音楽的哲学を出すチャンスを得た。



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1972年、テキサス州ダラス生まれ。女優である母親の影響で、演劇、アート全般を学ぶ。現モータウン社長、ケダー・マッセンバーグにその才能を見出され、'97年デビュー・アルバム『バドゥイズム』をリリース。エリカのアイデアを具現化していいたのが、ボブ・パワー、クエストラヴをはじめとするルーツ、ジェイムズ・ポイザーといったプロデューサー陣。コンセプチュアルで異常に完成度の高いこのアルバムは、内外から絶大な支持を得、以降のR&Bシーンに与えた影響は計り知れない。同年に発売された新曲1曲入りのライヴ盤『ライヴ』は、臨月での録音。以降、『ブルースブラザーズ2000』に出演するなど、女優としても活躍。2000年には、2作目となるアルバム『ママズ・ガン』をリリース。制作は前作関与の面々に加え、ソウルクェリアンズが参加。訴求力たっぷりの歌声、時代に則した生々しく折り込んだ有機音、ジャズをはじめとする過去の財産をしっかり認知し、新しいR&Bを提示しているサウンド・プロダクションは、高い評価を得たことも記憶にしい。


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1978年生まれ。ボブ・マーリー子息中最年少。ダミアンは13歳からシェファーズというグループでヴォーカルを担当、1993年にシングル・デビュー、レゲエ・サンスプラッシュなどに参加、またスティングやシャバランクスの前座を務める。96年兄ジギー、スティーブンとのプロダクション・チーム「マーリー・ボーイズ・プロダクション」を結成、タフ・ゴング・レーベルよりアルバム『ミスター・マーリー』をリリース。99年には『ボブ・マーリィ・デュエッツ』(企画盤)のトラックメイキングをほぼ彼が手掛ける。2001年にタフ・ゴングとユニバーサル・モータウン・レコーズが合併、ソロ・アルバム『ハーフウェイ・トゥリー』を発表。スライ&ロビー、ヤミ・ボロ、スウィズ・ビーツらがバックアップしたその内容は、ハードコアなダンスホール・スタイルで大ヒット、2002年グラミー賞にてベスト・レゲエ・アルバムを受賞。

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80年代後半からダンスホールレゲエ、サウンドシステムのカルチャーが根付いていた横浜で、1991年MIGHTY CROWN結成。92-94年頃まではメンバーが入れ替わりで海外に出ながら活動を積み重ね、94年のサウンド・システム(移動式スピーカー・システム)の完成と共に国内での活動を本格化。結成直後からアイディアに溢れるダブ・プレート(レゲエ特有のラッカー盤ダイレクト・カッティングの一点モノのオリジナル音源)と、フロアの心を掴むセレクション、そして的確なMCにより徐々に頭角を顕す。94年から99年まで国内のサウンド・クラッシュ(クルー同士で選曲、客の煽動の妙で優劣を競う興行スタイル)全盛期を勝ち残り、その地位を不動のモノとする。海外では早くからNYを中心に定期的な海外興行を行ってきたが、1999年世界のトップ・サウンドが一同に会し、サウンド・クラッシュ世界一を決定するイヴェント「ワールド・クラシュ1999」に日本を代表して果敢にエントリー。持ち前の知略、チャレンジャー・スピリットで、見事優勝。アジア人初のサウンド・クラシュ世界一の称号を勝ち取る。これ以降、世界のトップ・サウンドとして、アメリカ国内、カリブ諸島全域、ヨーロッパなど、毎年海外遠征に年の半分を費やしている。こうした国内外のライブ活動以外に自らイベントを主催しており、海外のアーティストやサウンドの招聘の他、日本のダンスホールレゲエ・シーンの向上を目的に1995年から毎夏開催し続けている「横浜レゲエ祭」は当初のライブハウスから年々動員を増やし続け、2003年には初の野外開催で1万人を記録。2004年には横浜・みなとみらいで2万人を迎えて名実ともに日本一のレゲエフェスとなっている。ライブ活動以外にも、テープ/レコード/ビデオ/CD/DVDなど、様々な録音物の制作・流通を行っており、2001年にはレコード・レーベル「LIFE STYLE RECORDS」を発足。さらにはダンスホール情報誌「STRIVE」の発行や、所属アーティストFIRE BALL、PAPA Bらのプロデュース業、リミックスワーク(THE MAD CAPSULE MARKETS、ラッパ我リア、ZEEBRA...)と積極的に取り組んでいる。さらに2002年、オリジナルウェアブランドとして『NINE RULAZ』を発足、活動の幅はますます広がっている。


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ダンスホール・レゲエシーンで注目を浴び、その実力でレゲエのみならずソウル、ジャズ、ゴスペルなども歌いこなす女性シンガー。その歌声はパワー、鋭さを持ち合わせ、その歌唱力、表現力には特筆すべきものがある。95年、大阪を拠点に活動を始め、着実にその人気と共に名を広めてゆく。97年にレゲエ・コンピレーション・アルバムに収録の「SOULFULL DANCE」で一躍脚光を浴びる。同年レゲエの本場ジャマイカに渡り、サウンド・システム“STONE LOVE”において、日本人初のダブ・プレートが、ジャマイカのアーティスト達と肩を並べてダンスホールでプレイされる。その後、98年にMOOMINの1stアルバムに参加、99年には12インチシングル「Dancehall Checker」にてZEEBRA、YOU THE ROCK★、TWIGYらと競演。98年12月、NYにてキャロル・キングのカヴァー「It's Too Late」を表題曲としたアナログ盤をリリースし、即完売。そして99年6月デビューマキシシングル「BRAND NEW DAY」をリリース。2000年3月に1stアルバム「say Greeting」、10月にはNYヒップホップシーンのトップ・プロデューサーDJ PREMIERと共演した「SET ME FREE」をリリース。2001年7月には2ndアルバム「COLORS」をリリース。1st&2ndアルバムはロングセールスを記録し、それぞれ10万枚を越える。さらに2001年12月リリース、MOOMIN、RYO the SKYWALKER、Rhymester、DABOらが参加したワンウェイ・ダンスホール・レゲエ・コンピレーション・アルバム「Music Is Mystic」をプロデュース。2002年4月にはR&B〜Jazzyなミニアルバム「Pak's Groove」をリリース。同年8月に代々木第一体育館で行われた「Live2000+2」などでレゲエ・リスナーだけではないリスナーをも魅了させる。同月マキシシングル「FOREVER」をリリースし、これがヒットシングルとなる。2003年3月に3rdアルバム「Pieces」をリリース。2003年7月には、世界最大のレゲエ・フェス「SUN FES 2003」に出演。2004年8月には、最高傑作の呼び声高い4thアルバム「QUEENDOM」をリリース。そのずば抜けた歌唱力・表現力は、現在のシーンの中でもONE&ONLYな存在感を放ち、ジャンルにとらわれない彼女独自の音楽活動は、大きな注目を集め続けていると同時に、ジャパニーズ・レゲエ・シーンNo.1シンガーの座を確固たるものとしている。

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1993年4月にアルバム『俺に言わせりゃ』でファイルレコードよりデビュー。1995年6月にセカンド・アルバム『Egotopia』を、同年12月 にEP“Plus Alpha”をリリース。精力的なライブ活動で支持を集めながら、1998年2月にリリースしたシングル“B-Boyイズム”のスマッシュ・ヒットで、日本のヒップホップ・シーンを代表する存在となった。同作を収録した1999年7月リリースのサード・アルバム『リスペクト』は異例のヒットを記録、2000年2月にはそのリミックス・アルバムとなる『リスペクト改』をリリースしている。2001年に活動の場をメジャーへと広げ、12月にアルバム『ウワサの真相』を、2002年10月に同作の楽曲を中心にバンド勢とコラボレイトした、リセッション・アルバム『ウワサの伴奏』をリリース。2004年2月にアルバム『グレイゾーン』をリリース。さらに2004年は、メンバーのMummy-Dが、RHYMESTERから初のソロ・プロジェクトとなるユニット"マボロシ"を、ファンク・バンド"SUPER BUTTER DOG"のギタリスト・竹内朋康と結成。現在のメンバーは宇多丸(MC)、Mummy-D(Mr. Drunk:MC/Producer)、DJ JIN(DJ/Producer)。待望のNew Single『逃走のファンク』を2005年8月にリリースした彼等がSPRINGROOVE出演決定!

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BIGZAM、DABO、DELI、GORE-TEX、MACKA-CHIN、SUIKEN、S-WORD 、XBSの8人から成る、HIP HOPのMC集団。

96年頃から渋谷・宇田川町を中心に活動を開始。ラップゲームへの飽くなき探究心と8人の壮絶なマイクリレーはHIP HOPシーンとしては驚異的なセールスを上げ続け、更にはクロージングブランドの展開などにより音楽だけでなくファッションシーンからも強烈な支持を受けていく。

そして2005年、8人全員がソロでメジャーデビューを果たすという快挙を成し遂げ、東京の路地裏から生まれたストーリーは全国のアンダーグラウンドシーンを巻き込みながら、遂にメジャーシーンへと突入した。



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ニューヨーク出身の5人組。MTVのMCコンテストで優勝経験もボーカル兼MCのTravis率いるHiphopグループ。

アメリカで100万枚のプラチナセールスを挙げたロックバンドFall Out BoyのフロントマンPete Wentzが主宰する

Decaydanceより”The Papercut Chronicles”を2005年5月にリリースした。

彼ら最大の特徴は一切のサンプリングを使わず、バンドが常駐してバンド形式で生演奏で行う迫力満点のライブパフォーマンス!そこには音楽的に深い世界観が広がり、かのJAY-ZやRUN DMCなどの超VIP達も彼らを大絶賛!

ヒップホップファンだけでなく、ロックファンにも十分通じる実力を併せ持つ。2006年夏には大注目のニューアルバムのリリースも控えており、去年9月の来日キャンセルの雪辱を今回に期す!


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UK出身ながらアメリカ人の父を持つ彼は、UKとUS双方のソウル・ミュージックに触れながら育つ。2004年、自らプレスしたWhite Label「Set The Tone」が話題となる。同年、いち早くUNIVERSAL MUSIC PUBLISHINGが、彼の楽曲に関しワールドワイドの出版権を獲得。いくつかのLIVEの出演権を勝ち取り、いずれのショウでもそのパフォーマンスが絶賛される。2005年3月、シングル「Set The Tone」のオフィシャル・リリースによりUKデビュー。7月には続くシングル「Universal」をリリース。8月にアルバム『SET THE TONE』リリース。9月にシングル・カット「The Message」と相次いでリリース。まだ大きなヒットには至らずも、英音楽誌に、Mariah Carey,Ciara,John Legendらと並んでノミネートされる等、その評価はうなぎのぼり!10月にはMusiq Soulchildのロンドン公演のオープニングをつとめた。ここ日本でも輸入盤が早くも外資で展開中。J-Waveが早くもアルバムをWeekly レコメンとし、「The Message」も最高位60位を記録。UKで、そして日本で、2006年必ずやBIGになる、MR.SOUL GUY。それが、ネイト・ジェームスである。

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E.D.O.とはEarth Dirty Outkast (アース・ダーティ・アウトキャスト)の略で”はみ出しもの”を意味する。SORASANZEN,SYZA,Shen,cubex,SHENLONG,DJ CUB,DJ SPANKY-Zのメンバーを中心に集まったアーティストクリエイター集団。
次世代HIP HOPシーンの登竜門であったイベント「I.L.T」で出会ったメンバーで、中心人物であるSORASANZENの呼びかけにより2000年に結成し、現在に至る。E.D.O.は今まで東京のストリートで約6年の活動をしてきており、都内のUnder Ground HIP HOPシーンはもとより、日本中のストリートシーンからその百家争鳴のステージングとスキルにより絶大な支持を得ている。
2004年は全国13カ所のツアー、2005年12月にはHP,LIVE会場のみで限定発売となるデビュー作「BLACKLIST」をひっさげ全国8箇所の大規模なツアーをおこなう。これまで以上の動員となったこのツアーで大きな反響を得る事となり、遂に2006年2月25日に「BLACKLIST」が全国発売。そしてこの全国盤には竹中空人監督(メンバーでもあるSORASANZEN)によるタイトル曲のミュージックビデオをエンハンスド仕様で追加収録。

音楽という枠にとらわれずに車、バギー、アパレルデザイン、ショッププロデュースなどメンバーの多彩なセンスにより様々なプロデュースを手がけることでストリートの拡大を図っている。時代の変化と共に集まった多士済々なクルー。その全貌は徐々に明らかになっていくであろう。

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MIGHTY JAM ROCKとは現在も日本のレゲエ激戦区 大阪から発信し、ジャマイカ流レゲエと共に生きるスタイルを貫いているクルーである。KYARA(キャラ)、ROCK(ロック)の2人によるサウンドクルーと、JUMBO MAATCH(ジャンボマーチ)、TAKAFIN(タカフィン)、BOXER KID(ボクサーキッド)の3人のDee Jayで構成される。

1999年からスタートしたレーベル”Mighty Jam Rock Records”、移動式サウンドシステム”Dancehall Mecha-Dog”(ダンスホールメカドッグ)、驚異的なリリース量を誇るミックステープ”Sound Bacteria”、夏の怪物イベント”Highest Mountain”の運営など現在では、多方面にわたって活動中。2005年の”Highest Mountain”大阪舞洲野外特設会場では20,000人のオーディエンスが熱狂した。


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数々のラップ・クラシックを放った伝説のグループ=メイン・ソース。その核となっていたのが、トラック・メイカー兼ラッパーのラージ・プロフェッサーa.k.a.エクストラ・Pである。彼はグループ脱退後も、自身のソロ作品やナズ/ア・トライブ・コールド・クエスト/コモンといったアーティストの楽曲をプロデュースしていく。――タイトに組まれた芯の太いビートに、ファンキーもしくはスウィートなソウル/ジャズのサンプルを敷き詰め、グルーヴィに展開するヒップホップ・サウンドを創作する。彼のプロダクションは常にハイ・クオリティであり、そのことに起因してか、ラージ・プロフェッサーは安定した人気を誇っている。
96年にはソロ・アルバムのリリース予定があったものの、お蔵入りという憂き目に。しかし、00年にレーベルを<MATADOR>に移し「アバウト・ザット・タイム」を発表、その2年後には同レーベルからようやっとソロ・デビュー・アルバム『1stクラス』がドロップされた。そこでは、相変わらずの歯切れのよいラップとグルーヴ渦巻くヒップホップ・サウンドが披露されている。ラージ・プロフェッサーは誰もが認める超実力派アーティストだ。
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BLACK MOONの一員でもある東海岸の雄、Da BeatminerzのDJ Evil Dee。かつてSmif-n-Wessunで披露していたようなクラシックなHIPHOPアルバムから、昨今ではEMINEMやTHE ROOTS、Rah Digga、D'Angelo、 KRS-ONE、Wordsworth, Jean Grae, The Jungle Brothers、Mark Morrisonといった多くの有名アーティストの作品やリミックスまで幅広く手掛けている。

多くのプロデューサーがシンセサイザーの音色をそのまま使う制作を行う中で、あくまでビートとHIPHOPの基礎、そしてサンプリングにこだわったキーボードを使用しないスタイルを貫いている。現在のシーンに疑問を投じながらも、オーダーに対して最高の仕事をするトラックメイカーとして君臨し続けている。

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本名 : 山本 仁(ヤマモトジン)
生年月日 : 1973年3月24日
出身 : 神奈川県横浜市
血液型 : O
身長 : 174cm
趣味 : 格闘技、野球
座右の銘 : Walk On
好きなヒップホップ・アルバム : ビッグ・ダディ・ケイン『Long Live The Kane』
ヒップホップにハマったきっかけ : 横浜Circus
音楽活動を始めた経緯 : 横浜Circusに行って以来、DJを志すようになり、その後Rhymesterと出会い今に至る
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クラブのみならずラジオ、TV、雑誌と様々なメディアで活躍中 の、泣く子も黙る御存じ日本一多忙なHIP HOP DJ。80年代 後半に単身でNYに渡り、90年代中盤にBUDDAH BRAND の一員として帰国し、日本のヒップホップ・シーンの隆盛に貢献。同時 に“パーティースタイル”をここ日本にも定着させ、「Daddy's House」等のレギュラー・パーティーを次々と成功させる。“THE LIFE ENTERTEINMENT”設立後は自身の名義でのアルバム3タイトルを立 て続けにヒットさせ、ミックスCDも現在までに6枚リリー スしている。04には自身のブランド「ROCK SMITH」を開始 し、DJワーク/レーベル運営/新人育成等をこなし、ハーデスト ワーカーとして積極的に活動中である。
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女性ラッパーの先駆けとしてid RECORDSから2000年デビュー。その音もさることながら、エンタテインメント性の高い卓越したスキルとステージングでクラブシーンの絶大なる支持を得る。2001年より活動の場をEpic Records Japanに移し、現在までに"Free Ya"(2002.9)、"NATURAL" (2003.4)、"miss rainbow"(2004.11)の3枚のアルバムをリリース、独自の地位を確立する。

ジャンルの枠に囚われないスタイルを標榜し、レゲエアーティストではSLY&ROBBIE、CHAPPIE、Spinna B-ill、RUDEBWOY FACE等、HIP HOPアーティストではMUMMY-D(Rhymester)、 GAGLE等、シンガーではLeyona、Sowelu、JAMOSA等とコラボレーションを重ねる。平行してThe Pharcyde、Nivea、Ja Rule等のJapan Tourにも参加、交流を深める中でスキルアップを重ねる。

名前の由来でもある「月」の様に日々形を変え、過去のスタイルに固執せず、ジャンルや国籍にも囚われない独自のスタイルを磨く。ナチュラルな女性として輝きを放つMiss Monday。

楽曲制作に費やした2005年を経て、生まれた楽曲を世に問う2006年、彼女の活動から目が離せない。